lacaniana  

ラカンの全著作・全講義を年代順に読破するプロジェクト。

2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧

シミュラクルもしくは魚としてのファルス:「ファルスの意味作用」

*「ファルスの意味作用」(La signification du phallus / Die Bedeutung des Phallus, in Ecrits, Seuil, 1966) ミュンヘンのマックス・プランク研究所においてドイツ語で行われた講演を「変更を加えずに」筆記したものとされるが、ラカンのこういう但し…

女性性の本質化に抗して:『無意識の形成物』第XV講〜第XXI講

女児のエディプス複合にかんし、ペニス羨望は三つの局面について想定しうることが確認される。(1)クリトリスがペニスであってほしい。(2)父のペニス。(3)父の子供。(1)は「去勢」、(2)は「フラストレーション」、(3)は「剥奪」に相当する…

享楽の最初の一グラム:『無意識の形成物』第XIV講

というわけで、セミネールは享楽と欲望の関係という問題の提起によって再開される(1958年3月5日)。 クライン派ジョアン・リヴィエールの「仮装としてのフェミニティ」が俎上に載せられる。幻想における両親にたいする優位(父を去勢しそのペニスを奪ったこ…

燃やされた手紙:「ジッドの青春 あるいは文字と欲望」

*「ジッドの青春 あるいは文字と欲望」(Jeunesse de Gide ou la lettre et le désir, in Ecrits, Seuil, 1966) 開講中のセミネール『無意識の形成物』の中休み期間(1958年2月)に執筆され、セミネールの後援者でもあったジャン・ドレによる浩瀚な精神医…

革命と退屈と引きこもりの哲学:『無意識の形成物』第Ⅷ〜第XIII講

*『無意識の形成物』(Le Séminaire Livre V : Les formations de l'inconscient, Seuil, 1998) 精神病についてのギゼラ・パンコフの談話中で紹介されたベイトソンのダブル・バインド概念が、母子の想像的関係にみられる根本的ジレンマの認識に照らして評…

トポロジー宣言:「精神病のあらゆる可能な治療にとって前提となるひとつの問いについて」

*「精神病のあらゆる可能な治療にとって前提となるひとつの問いについて」(D'une question préliminaire à tout traitement possible de la psychose, in Ecrits, Seuil, 1966) 前回とりあげたのは『無意識の形成物』の1957年12月までの講義である。クリ…

シニフィアンの全般的経済論へ:セミネール第5巻『無意識の形成物』第1講〜第7講

*『無意識の形成物』(Le Séminaire Livre V : Les formations de l'inconscient, Seuil, 1998) フロイトによれば機知は「滑稽」とはちがい、話し手と聞き手以外の第三者を必要とする。ラカン的<他者>はこの第三者に送り返される。<他者>とは「シニフ…

衆生に語りかけるラカン:「レクスプレス」誌によるインタビュー

*「精神分析への鍵」(Clefs pour la psychanalyse, in l’Express, 31 mai 1957) 老舗週刊誌に掲載された Madeleine Chapsal によるインタビュー。ラカンが平易な言葉で一般読者向けに自説を述べている点で貴重なテクストと言えよう。後年の「ラジオフォニ…

再配達された手紙:「無意識における文字の審級 あるいはフロイト以後の理性」

*「無意識における文字の審級 あるいはフロイト以後の理性」(L'instance de la lettre dans l'inconscient ou la raison depuis Freud, in Ecrits, Seuil, 1966) 先行する二つの論文どうよう、哲学研究者向けの講演を基にした論文であるのは偶々か?1968…

純粋なシニフィアンとしての基本概念:「精神分析とその教育」

*「精神分析とその教育」(La psychanalys et son enseignement, in Ecrits, Seuil, 1966) フランス哲学協会での講演を基にその紀要に発表された。前年の「1956年における精神分析の状況と分析家の養成」にひきつづき哲学屋さんに向けての一文。しかも分析…

ハンス、あるいは存在の自己忘却:セミネール第4巻『対象関係』

*『対象関係』(Le Séminaire Livre IV : La relation d'objet, Seuil, 1994) カール・アブラハム以来の発達段階論において掲げられ、当時なお幅を効かせていた“理想的対象”という観念が退けられ、フロイトにおいて「対象」は喪失され、再発見されるべきも…