lacaniana  

ラカンの全著作・全講義を年代順に読破するプロジェクト。

2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧

「精神分析はわれわれの時代の倫理たり得るか?」:ブリュッセル講演

*「精神分析の倫理ー精神分析はわれわれの時代が必要とする倫理たり得るか?」(Ethique de la psychanalyse ― La psychanalyse est-elle constituante pour une éthique qui serait celle que notre temps nécessite?) 1960年3月9日、ブリュッセルのサ…

サントロペより永遠に:ウィニコット宛書簡

*ドナルド・ウッズ・ウィニコット宛書簡(1960年8月5日付) 2月に受け取っていた手紙への返事が遅れたこと、および主幹を務める「精神分析」に掲載の「移行対象」論文の著者名のスペルミス(tが一つ脱落)を詫びたあと、ロンドン・ソサイエティーでの講…

科学モドキの洪水:「主体の隠喩」

*「主体の隠喩」(La métaphore du sujet, in Ecrits, Seuil, 1966) 法哲学者カイム・ペレルマンの発表への回答として1960年6月23日にフランス哲学協会にて報告されたものに加筆。『エクリ』第二版の刊行時に「補遺」の一篇として収録された。 隠喩と無意…

壁に向かって語る:「フロイト的無意識における主体の覆しと欲望の弁証法」(了)

823頁4段落目~ ファルスのイマージュ(ーφ)は象徴的ファルス(Φ)へと「肯定化され」(positiver)、ある欠如を満たす。(-1)の支えでありつつ、(ーφ)は否定化不可能な象徴的ファルス、享楽のシニフィアンとなる。女性も倒錯もここから説明可能。 倒…

欲望のグラフの終焉:「フロイト的無意識における主体の覆しと欲望の弁証法」(その3)

809頁4段落目以下の数頁は向井氏の注釈においては省略されている。その部分のアウトライン(超約)。 不透明なシニフィアンによって表象される主体を意識の透明性に還元してしまうようなコギト解釈は誤り。「自己」なるものの混乱を隠蔽するものとしての「…

絶対知という狂気:「フロイト的無意識における主体の覆しと欲望の弁証法」(その2)

つづけて(799頁最終段落)言語学のおさらいがひとしきりあり、言表行為の主体と言表の主体との差異が存在と存在者とを隔てるハイデガー的「襞」になぞらえられ(rabattre en son gît la présence…)、シニフィアンによる主体の消失(fading)が「現存在狩り…