lacaniana  

ラカンの全著作・全講義を年代順に読破するプロジェクト。

2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧

主人と主体:「ローマ講演」第3部(その2)

Ecrits, p.293~ 他方、ヘーゲルが精神分析家のいわゆる中立性にひとつのいみを絶妙なタイミングでもたらしてくれているので、われわれはソクラテスの産婆術の柔軟性[可塑性]、さらにはプラトンの技法を借りてくるひつようはまったくない。ソクラテスとソク…

壁と反響:「ローマ講演」第3部(その1)

Ⅲ. 精神分析の技法における解釈の反響と主体の時間 男と愛のあいだに/女がいる/男と女のあいだに/世界がある/男[人]と世界のあいだに/壁がある(アントワーヌ・テュダル) もうひとつのエピグラフは『サテュリコン』の引用。死の欲動についてのもの?…

ゼネストからリベラル・アーツへ:「ローマ講演」第2部(了)

Ecrits, p.285~ 対になることで、精神分析の影響力をみいだすこと。民族学がすでに精神分析と並行しておこなっていることだ。民族学は、神話素の共時態にしたがって神話を解釈している。(1966年の追記) レヴィ=ストロースという人が、言語活動の構造のい…

文化における居心地のわるさ:「ローマ講演」第2部(その5)

Ecrits, p.281末尾~ 言説が妄想するこの袋小路からの出口がひとつある。主体にとって有効なコミュニケーションは、科学と普遍的文明にもとづいて可能である。客観化が主観性を忘れさせる。日常的な活動がみずからの生存と死を忘れさせるが、誤ったコミュニケ…