lacaniana  

ラカンの全著作・全講義を年代順に読破するプロジェクト。

2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

ことばと言語活動のパラドキシカルな関係:「ローマ講演」第二部(その4)

Ecrits, p.279~ 象徴はある完全なネットワークによって人間の生を包括し、「死へむかう存在」を主体にまっとうさせる。 言語の回路の結節点に欲望がまたたく一瞬が人の生である。 しかしこの欲望が人間において充足されるためには、ことばの同意によって、あ…

父の名の導入:「ローマ講演」第二部を読む(その4)

Ecrits, p.276~ 不在によってできた現前である語(mot)によって、不在そのものがみずからを名指しにやってくる。この独特の契機(最初の瞬間)のつねなる再創造[recréation]を、フロイトの天才は、子供の遊戯のなかにみいだした。現前と不在のこのカップ…

アライグマ、ツバメ、その他大勢:「ローマ講演」第二部を読む(その3)

Ecrits, p.273~ マッセルマンの著書においては、犬に条件反射によって期待される肉のかわりにじゃがいもをだして神経症にする「実験」が紹介されている。 同じような状況で、不実な恋人の手紙を引き裂くようにメニューをしめす紙を引き裂くアライグマもいる…

ひとの法(のり)はことばの法である:「ローマ講演」第二部(その2)

Ecrits, p.271~ 機知におけるいじょうに、個人の意図が主体の大発見(trouvaille)によってあからさまに凌駕される状況はない。機知におけるいじょうに、個人と主体のちがいがあきらかになる状況はない。というのも、その発見においてじぶんとなじみのない…