lacaniana  

ラカンの全著作・全講義を年代順に読破するプロジェクト。

2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

Fort, Da, da, da:「ローマ講演」第3部を読む(完結)

半年にわたるシリーズ最終回。ついでに言っておけば、途中からちょいちょい参照させていただいていた新訳(新宮訳)はすばらしい仕事だとおもう。 Ecrits, p.320~ 人間の自由はある三項図式のうちにまるごと書き込まれている。その一つ。相手を従属させると…

ガンジス河からエトナ山へ:「ローマ講演」第3部を読む(その10)

Ecrits, p.317~ とはいえ生物学の黎明期においてビシャが生命にあたえた定義は、死に抵抗する諸力の集合というものであり、自己の均衡を維持するシステムの機能としてのホメオスタシスというキャノンのもっとも現代的な観念と同様、生と死とが、生に帰されて…

狼と主人と死:「ローマ講演」第3部を読む(その9)

Ecrits, p.314~ timing の切断が主体における急ぎの瞬間を中断する際の無関心は、そこへと主体の言説が急ぐ[se précipiter]結論にとって致命的となるおそれがある。ひいては誤解を植えつけるおそれがある。あるいは策略の口実になるおそれがある。 初心者…

狼の時間:「ローマ講演」第3部を読む(その8)

Ecrits, p.311~ 狼男症例において起こっているのはまさにこのこと。フロイトはそれを理解したので、期限の画定した[fini]分析と画定していない[indéfini]分析についての論文(脚注:『終わりある分析[terminé]と終わりなき[interminable]分析』は誤…

転移の現実性:「ローマ講演」第3部(その7)

Ecrits, p.307 最終段落~ このような極端さへ至る道の途中で、問いが立てられる:精神分析は、弁証法的な関係であり、そこでは分析家の非介入主義が主体[患者]の言説を主体の真実の実現へと導くのであろうか。あるいは、精神分析は空想的な関係にすぎず、…

In a Hole : 「ローマ講演」第3部(その6)

Ecrits, p.304 最終段落~ Two-body psychology とはよく言ったもの。分析はふたつの身体の関係となり、そのふたつの身体のあいだに、空想的なコミュニケーションがなりたつ。そのコミュニケーションにおいて分析家は患者にたいし、みずからを客体としてとら…