lacaniana  

ラカンの全著作・全講義を年代順に読破するプロジェクト。

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

愛への愛としての喪:講演「私の教えていることについて」(了)

承前。 ここでフロイトが「メランコリー」論文で語っている奇妙な喪に出会う。これを métamour と呼ぼう。メタ言語は存在しないが、メタ愛はあるのだ。愛が走り(se courir)また近道をとる(court-circuiter)のもこの同じ道である。その途上で愛の営み(éb…

表面としての人間:講演「私の教えていることについて」

原題は<<De ce que j'enseigne>>。1962年1月23日(セミネール「同一化」第9回の前日)、 l’Evolution Psychiatrique の集会にて行われた講演。ミシェル・ルッサン版「同一化」は、テープから起こされたとおぼしきスクリプト(一部の晦渋なくだりは省略されている)とクロード・コ</de>…

誤りとしての主体(承前):セミネール第9巻『同一化』(その9)

第XII講(07/03/1962) 前号の続き。 本日をもってわたしは「予知(pressentiment)の時代」の幕を開ける。しばらくのあいだ、誤りと正しさ(à tort ou à raison ならぬ à tort et à raison。もちろん tort は tores に掛けてある)の二重の側面からのアプロ…

誤りとしての主体:セミネール第9巻『同一化』(その8)

第XII講(07/03/1962) 冒頭、前夜逝去したルネ・ラフォルグへのオマージュがささげられる。 哲学者にとっても分析家にとっても主体は誤るということが創設的な経験。分析家にとっては、主体が「言われうる」ということが関心の対象。 “知の手段の修正”は、…