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ラカンの全著作・全講義を年代順に読破するプロジェクト。

『同一化』第15講(その1)

 第XV講(28/03/1962)

 

 主体の同一化の過程はトーラスによって示される。同一化の弁証法

 

 トーラスは球面ならざる表面で唯一われわれの関心を引く。どんなに変形しても恒常的な関係を保つ「ゴム製の論理学」。

 

 本質的にわれわれの関心を引く表面は閉じられた表面である。主体も閉じられたものとしてみずからを提示するからだ。

 

 あらゆる閉じられた表面は[突起のついた]球に帰される。クロスキャップの導入が予告される。クロスキャップにおいては裏と表の表面が連続的である。

 

 トーラスの周囲を無際限に回転する円は同じにして別物である。シニフィアンのしつこい自己主張(insistance)であり、とくに神経症者の反復的要求の insistance である。

 

 一方、一連の反復的要求によって主体の知らぬ間に形成される中心の穴は「受動的」象徴化を示し、これが無意識的欲望である。欲望はこれらいっさいの要求の換喩である。

 

 特権的な円は、トーラスの外部から出発しつつ、中心の円を通って中心の円を包括することで閉じられるそれである。この円は、同時に二つのことを行うという特権をもつ。横断すると同時に包括するのだ。これは二つの円の加算、要求と欲望の加算であり(D+d)、要求を、その基盤にある欲望によって象徴化することを可能にする。

 

 

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 このことの利点は何か。日常生活で経験されるように二つの要求の対立が起こったばあい(「私が要求するものか、あなたが要求するものか」)、要求の不一致を表せることだ。かくしてトーラスがオイラー図に重ね合わせられる。

 

 二種類の「……か、……か」がある。欲望は二つの要求の同意(contrat)、合意(accord)ではない。

 

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図の(1)と(2)の領域にかんして問題なのは、表面が閉ざされることであり、より正確には、内的な空(vide)(2)にたいして閉ざされることである。(2)は 対象a に相当する。これは「欲望にたいする主体の関係の究極的な基準」であるファルス(φ)に照らして理解される。(つづく)

 

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