2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧
第3講(29/11/1961) 同一化において問題となる「一」は、パルメニデス的な一なるものでもプロティノス的な一者でもなく、いっこの全体性でもなく、教師が黒板に書くような一本の線である。 同一化は「考えるもの」(res cogitans)なるなんらかの実体への…
第2講(22/11/1961) 精神分析家にとって同一化とはシニフィアンの同一化である。 ラカンはヤコブソンの亜流であると言われているが、主体の実現におけるシニフィアンの機能の優位を指摘したのはラカンである[らしい]。 ソシュールによれば、たとえ日によ…