2015-01-01から1年間の記事一覧
Ecrits, p.254 後半~ 「いま、ここ」と既往症、強迫神経症的な主体内性(intrasubjectivité)とヒステリー的な間主体性(intresubjectivité)、抵抗の分析と象徴的解釈の対立から、「充実したことばの実現」がはじまる。 充実したことばの実現がうみだす関…
Ecrits, p.249 ~254前半 段落ごとのレジュメです。 ……ではその「仕事」とはいかなるものか? 徹底操作(durcharbeiten)という翻訳者泣かせの(「困憊する試練」)概念が想起され、ボワローの『詩法』の一節が引用される。「なんども仕事にたちもどり、[製…
ぜんたいで三部構成となる「ローマ講演」。第一部は、「主体の精神分析的実現における空虚なことばと満ちたことば」と題されている。 精神分析は、治療においても分析家養成においても研究においてもただひとつのメディウムしかもたない。患者のことばである…
「序論」のつづきからさいごまで。 アメリカでは、精神分析が、社会的適応、行動のパターン、「人間関係 human relations」という観念にふくまれる客観化についての学説にねじまげられてしまっている。「人間工学 human-engineering」とは言い条、そこからは…
「序論」レジュメのつづき。 ……以上の原則から、象徴的なもの、想像的なもの、現実的なものという三つの状況の分割が可能になる。これら三つのものがさまざまな「防衛」のありかた(「孤立」、「取り消し」、「否定」。より一般的には「無視」)を規定する。…
序論(INTRODUCTION) まず、リヒテンベルクとロバート・ブラウニングからの引用が掲げられている。いずれも「太陽」にかんする一節である。 そして冒頭の一文。 Tel est l’effroi qui s’empare de l’homme à découvrir la figure de son pouvoir qu’il s’en…
「序」レジュメ後半(Ecrits p.293 最終段落より) 精神分析はもっぱらフロイトの概念に負っているが、フロイトの言葉遣いは誤解されており、その吟味が必要である。人類学や現代哲学に照らしての吟味は有益であろう。フロイト用語は日常的に使われているう…
(承前)「序」において、この論文が発表された経緯が略述される。恒例の年次集会においていみじくもことば(parole)という題目をふりあてられたラカンは、Mons Vaticanus(バチカンの丘)は vagire の語源であり、じぶんの講演を謙遜と自負をこめて、新生…
*「精神分析におけることばと言語活動の機能と領野」( Fonction et champ de la parole et du langage en psychanalyse, 1953.) これまでのラカンの探究の中心にあった心像についての言及はわずかで、問題意識は言語のほうに大きくシフトしている。ここま…
*「転移に関する私見」(Intervention sur le transfert, 1951) 1951年のロマンス語精神分析者会議での講演。『エクリ』所収。 「ただ分析家がそこにいるということだけですでに対話の次元が生じている」。転移とはこのような状況である。転移とは「目に見…
*「犯罪学における精神分析の機能にむける理論的序説」(Introduction théorique aux fonctions de la psychanalyse en criminologie, 1950) 同年の「フランス語圏精神分析家会議」における Michel Cenac との共同発表。『エクリ』所収。最初のパートのタ…
*「精神分析的経験においてわれわれに明らかになったかぎりでの<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」(Le stade du miroir comme formateur de la fonction du Je telle qu’elle nous est révélée dans l’expérience psychanalytique, 1949) …
*「精神分析における攻撃性」(L'agressivité en psychanalyse, 1948) 『エクリ』所収のこの論文の狙いは、攻撃性という考え方を科学的な使用に耐える概念として確立することである。つまり、諸事実を客観化し、変数として扱うことで比較可能になるような…
*「13という数と疑念の論理的形式」(suite) ……この場合もまず、4枚ずつを皿に乗せる。 平衡すれば、悪貨は残りの5枚のなかにある。その場合、この5枚だけを使って、そのなかから1枚の悪貨を特定することはできない。 ところで、4枚のなかから1枚の…