lacaniana  

ラカンの全著作・全講義を年代順に読破するプロジェクト。

2016-07-23から1日間の記事一覧

死の本能と生の奇跡:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』(了)

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』 第二十四講(29/06/1955) 講演の成功で自信をとりもどしたラカンが質問者たちに逆襲を試みる。 X:聖書には宇宙(「すべてを論理的に繋げるような固定され決定された法」)もしくはプラトン的な「ロゴス」…

サイバネティクスと精神分析の同時代性は「偶然」か?:『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第二十三講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』 第二十三講(22/06/1955) セミネール番外編の講演「精神分析とサイバネティクス」 サイバネティクスと精神分析という二つの「技術」(あるいは「思考」もしくは「科学」)の同時代性を説明する鍵の一つが「…

ランガージュへの集中砲火:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第二十二講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』 第二十二講(15/06/1955) サイバネティクスにおけるメッセージ概念。「ランガージュはメッセージのためにあるが、コードではない。ランガージュは本質的に曖昧であり、意義素はつねに多義的で、シニフィア…

ドッペルゲンガーそしてファルス:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第二十一講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』 第二十一講(04/06/1955) 「貞節を動機づけるのは誓いの言葉(パロール)にほかならない」(プルードン)。妻の誓いは夫個人をこえて「すべての男」に向けられ、夫のそれは「すべての女」に向けられる。「…

対象関係論と不合理なもの:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第二十講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』 第二十講 シェマLにおいてはパロールが光のように一直線に伝わることを前提しているので、「隠喩」か「アナロジー」にすぎない。ミスリーディングなシェマの例として『自我とエス』の卵形の図が挙げられる…