lacaniana  

ラカンの全著作・全講義を年代順に読破するプロジェクト。

「アーネスト・ジョーンズの思い出に:その象徴理論について」

*「アーネスト・ジョーンズの思い出に:その象徴理論について」(A la mémoire d’Ernest Jones : Sur sa théorie du symbolisme

 

 ジョーンズ追悼論文。1959年1月から3月にかけて執筆され、1961年に「精神分析」誌に掲載された。『エクリ』所収。

 フロイトのモニュメントの建造者たるジョーンズを意識して建築学的な比喩を散りばめ、詩的ひらめきに富む。

 ジョーンズは国際精神分析協会からラカンを〝破門〟した張本人であり、業界内では敵どうしであったが、ラカンはセミネール第5巻~第6巻でその男根期およびアファニシスの観念を評価している。

 ユングにとって象徴は、それじたいは無意識的にとどまる諸「元型」のイマージュ(隠喩)であり、リビドーという抽象的なエネルギーを素材としてつくられる。ジョーンズはこうした観念論を退ける。「象徴において現れる原初的な諸複合は心的生活の源泉であるはずだ」(ジルベラーとの論争)。隠喩における例え(figuré)は象徴の具体物(concret)に道を譲らねばならない。ジョーンズは象徴がファルスという「具体的な観念」に由来し、あらゆる象徴はファルス的な象徴であるとしている。これはかれの男根期についての見解に照らして評価し得る。しかしジョーンズは現実的なファルスとシニフィアンとしてのファルスをはっきり区別できていない。アンナ・Oにとって蛇は男根そのものの象徴ではなく男根が欠如している場の象徴である。ジョーンズは抑圧されるのが表象代表(シニフィアン)であり情動ではないというメタサイコロジー諸論文におけるフロイトの主張を理解していない。ジョーンズは言語学的な探求によって象徴にアプローチしようとしたが、如何せんそこにシニフィアンの理論を発見することはなかった。『エクリ』刊行時に加筆された補遺において、ラカンはむしろジョーンズの論争相手でありユングと親近性のあるジルベラーが象徴を「マテリアルな現象」とみなしていることのうちにシニフィアン理論への洞察を見出している。