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ラカンの全著作・全講義を年代順に読破するプロジェクト。

フロイトを信頼せよ:「神経症者の個人的神話」(2)

*「神経症者の個人的神話」(承前

 

 神経症者においてはこのエディプス複合の構造があるしゅの変更を被っている。特殊な社会状況に由来する父という形象の退化(dégradation)ゆえに。

 

 父の機能の衰退の結果、精神分析家は、無知(ignorance)の状態にある患者(sujet)を、かれとの象徴的な関係のなかで、意識ひいては智慧(sagesse)へと導く師(maître)の道徳的機能を担えない。

 

 神経症者は神話というかたちで、あるとくていの時代の人類の存在様態との根本的な関係を想像的に表現している。神経症者の経験そのものにおいて神話の機能が見出される。

 

 フロイトの症例はどれも不完全なものであり、批判の対象になっているが、フロイトの症例のなかにふくまれた真理のほんの小さな粒にこうした批判を封じ込める力がやどっている。木を見て森を見ない身振りはよそう。フロイトを信頼しなければならない(il faut lui faire confiance)。

 

 「鼠男」症例の独創性、そのとりわけて意義深く説得的な性格をよみとらなければならない。この単純な症例の真理の解明には晦冥で長大な推論を必要とする。

 

 患者の症状を構造化しているかれの家族関係がそれである。それをかれの前史、原初的な――占星学的ないみでの――布置(constellation originelle)、もしくは運命と言い換えてもかまわない。そこにおいては複数の親(parents)の融合がみられる。

 

 患者の父は貧しい恋人を捨てて裕福な女性と結婚した。また、軍の資金を使い込み、友人に救済された。患者の強迫的な幻想はこの原初的な「布置」の諸要素(返済義務)を発展させたものである。父の負債(原初的な布置)を返済すべく患者は複雑怪奇な幻想のシナリオをつむぎだす。ラカンはこれを神経症者の個人的神話と名づける。