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ラカンの全著作・全講義を年代順に読破するプロジェクト。

トーラスの動物:『同一化』第14講(その2)

 

 承前。

 

 objet a は、鏡像段階のレベルでの他人(l’autre)のイマージュ、i(a)自我理想を内包している。

 

 とはいえ、この関心はひとつの形態でしかない。それはこのニュートラルな関心の対象であり、ピアジェはかれが相互性とよぶこの関係を前景化しているが、ピアジェはそれを論理的関係のひとつの根源的な定式たり得ると考えている。想像的なものであるかぎりでのこの他人との同一化によってこそ対象の出現の三項性は打ち立てられるのであるが、これは不十分で部分的な構造でしかない。

 

 <他者>への関係は包括的な(générique)形態の特殊性に基づくこの想像的な関係ではない。というのも<他者>へのこの関係はそこにおいては要求によって特殊化されるからだ。要求がこの<他者>から出現させるのは、主体の構成における本質性(essentialité)、もしくは inter-esser という動詞をいまいちどとりあげるならば、主体にとっての<他者>の間-本質性(inter-essentialité)である。

 

 ここで問題になっている領野はいかなるいみにおいても必要性(besoin)の領野に還元され得ない。もしくは似姿との競合関係においてひつようとなる生体の代替対象の領野には。トーラスは別の領野にある。シニフィアンの領野、現前と不在の connotation の領野。そこでは対象はすでに代替の対象ではなく、主体の脱存在 ex-sistence である。最初の競合関係の対象a はこうした機能に高められる。

 

 他人の支配における欲求不満の関係から去勢へ。去勢は主体を欲望のなかに位置づけ、ex-sistence の状態に置く。

 

 主体は représentant-représentatif によって表象される。そこで主体は個人としての他人との[クルト・]レヴィン的関係からは排除されている。レヴィン的領域においては主体がトポロジー的に二つの場所において定義される必要をもたない。すなわちレヴィン的領域とそこから排除されている領域である。

 

 二重否定の罠。「私が欲していると私は知らない」は「私は欲していないと私は知っている」と同じことではない。『精神病』でとりあげられた例に立ち戻るなら、「いずれにしてもご存知でしょう」と言うために「知らないわけではないですよね」というごとく。プレヴェールのあるテクスト。

 

 「カナール・アンシェネ」のアンドレ・リボーによる記事(il ne faut pas se décombattre de quelque défiance des rois.)。

 

 二つの否定が重なり合う。打ち消しあうのではなく、お互いを支え合う。トポロジー的二重性。il ne faut pas de décombattre は、de quelque défiance des rois と同じレベルにおいて言われていない。言表と言表行為は切り離すことが可能であるが、ここでは両者の裂開が明白である。

 

 トーラスはこの二重化、主体の両義性において橋の役割を果たす。迂回の必要性。入ること(s’engager)にはすでに通路のイメージ、入口と出口のイメージ、背後で閉ざされた出口のイメージを含意する。engagement の最終的なイメージは、「おのれの出口を閉ざす」ことへの関係に現れている。

 

 平面に取っ手のついたトーラスが示される。これをひっくり返すと穴倉が現れ、人間がかつて穴倉に住まう動物、トーラスの動物であり、なおそうでありつづけていることがわかる。

 

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 内部と外部の通底。先述の「通路」「回廊」「地下室」。『地下生活者の手記』。社会的群れの通行路(voies)への関係。通行路の吻合(anastomose)は生体のもっとも内奥に存在するものを模倣している(simuler)。人間だけではない。蟻、シロアリ、そしてカフカの語っている穴倉のなかのアナグマも。

 

 思考が主体の世界にたいする関係を組織するとき、それを無視する。抑圧や無視(méconnaissance)がある。なぜか。

 

 <他者>への関係は自然的な関係とは別のところにある。それは思考を逃れ、思考はそれを拒む。<他者>への問い。欲望とその満足についての問いから出発すべし。主体の位置の根源的二重性に罠が宿る。

 

 それをシニフィアンのレベルで感じ取ること。シニフィアンは主体の位置の二重性によって特徴づけられる。欲望のグラフにおけるメッセージと問いの差異。

 

 ここで取っ手状のトーラスが欲望のグラフに重ね合わされる。

 

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  「グラフは、主体がそこを通って普遍的ディスクールの平面に二重に一致する裂け目のうちに位置づけられる」。

 

 欲望のグラフにおける裂け目は、<他者>への答えの求めが rien peut-être と peut-être rien のあいだで揺れることにある。(つづく)