lacaniana  

ラカンの全著作・全講義を年代順に読破するプロジェクト。

サントロペより永遠に:ウィニコット宛書簡

 

*ドナルド・ウッズ・ウィニコット宛書簡(1960年8月5日付)

 

 2月に受け取っていた手紙への返事が遅れたこと、および主幹を務める「精神分析」に掲載の「移行対象」論文の著者名のスペルミス(tが一つ脱落)を詫びたあと、ロンドン・ソサイエティーでの講演の依頼にたいして多忙を理由に断りの返事をしている。3月にブリュッセルで行われた二度の講演(「精神分析はわれわれの時代が必要としている倫理のひとつであるか」)、「倫理」のセミネール(野心的な主題が自画自賛される)と旺盛な活動の一端が報告される。ジョーンズ追悼論文が理解できないとのウィニコットの言葉に遺憾の意が表明され(「理解し合える点が多いと感じていたあなたからそのような言葉を聞くとは……」)、論文のポイントが懇切丁寧に箇条書きされる。ジョーンズの失敗は教訓的である。ジョーンズはファルス的象徴の概念を先取りしていながら、じぶんではそれに気づいていなかった。シニフィアン現実界の関係についてのラカンの考えを理解している者にはそれがわかるはずだとして論文の一節が引かれる。「思考と現実界の関係はシニフィアンシニフィエの関係とは異なる。思考にたいする現実界の優位はシニフィアンシニフィエにたいする関係においては逆転している」。アファニシスおよび剥奪(privation)の概念もラカンのセミネールに多くのものをもたらしたとされ、ジョーンズの洞察があらためて讃えられる。象徴理論を主題に選んだのにはセミネール出席者への啓蒙といういみもあった。セミネールの開講以来、ラカンのテクストはすべて教育の場を源泉としている。要求と欲望の区別を明らかにした「治療の方向づけ」しかり(The rules of the Cure and the lures of its power なるタイトル英訳が記されている)。「移行対象」概念にも必要性と欲望の区別を理解させる教育的効果があった。そろそろ業績を一冊の著作にまとめるべきときだとかんじている。アムステルダムで催す会合は女性のセクシュアリティがテーマになる。ジョーンズ以来ないがしろにされてきたいまひとつのテーマである。義理の娘ロランスが政治活動で逮捕、釈放される。同居中の甥もこのほどアルジェリア反戦活動で懲役判決を受けた。