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マシーンとしての構造:「ダニエル・ラガーシュの報告『精神分析と人格の構造』についての考察」

*「ダニエル・ラガーシュの報告『精神分析と人格の構造』についての考察」(1961年)

 

 1958年のロワイヨーモン・コロックにおける発言に加筆のうえ、ラガーシュのテクストとともに1961年に雑誌「精神分析」第6号に掲載された(同号にはロワイヨーモンで発表された「治療の方向づけ」も収録されている)。のち『エクリ』所収。

 

 セミネール6巻および7巻の成果が盛り込まれた最初の書かれたテクストとして意義がある。

 

 ラガーシュは1953年にフランス精神分析協会をともにたちあげた盟友。ラカンはラガーシュの主張を大筋で肯いつつ、その不徹底さを批判している。

 

 ラガーシュ報告はフロイトの第二局所論に基づくいっしゅの構造主義宣言の如きテクスト。ラガーシュにとって「人格」という構造は、静態的な観察可能な諸特徴の束ではなく、動態的な諸関係のシステムである。ラカンは「理論的モデル」たる構造を「自然的」な事象と対置させるラガーシュの二元論を退け、「純然たるシニフィアンの作用」が現実に及ぼす効果によって構造を定義する。構造は「主体を演出するひとつの独創的なマシーン」である。

 

 ハルトマンらによるフロイト自我概念の歪曲にたいするラガーシュの批判には賛意が表される。

 

 ラガーシュは個人意識の発達論(ピアジェ)を批判しつつも、その「属性」attributs という用語は出生以前の主体を実体化しかねず、主体の誕生にたいするシニフィアンの先行性と抵触する。

 

 ラガーシュは相互主観性を想像的な分身とのそれと理解しているが、ラカンによればそれは<他者>という超越的な場所との関係である。

 

 ラガーシュがエスを構造としてとらえようとしている点は評価される。組織化されていないというエスの特性をラガーシュは無意識には否定がないというフロイトの説に帰す。しかし「無意識にはいかなる否定も疑惑も確実性の度合いもない」というフロイトの一節を引くとき、ラガーシュは確実性と肯定とを混同している。フロイトの意図は、確実性がもっぱら行為から生まれるということである(「論理的時間」)。ラガーシュによればエスに否定はなく、否定という判断は自我に由来する。しかし、「心理学草稿」によれば判断は自我以前に遡る。ゆえに判断は自我の特権ではない。

 

 いまだに適切な区別がなされていなかった理想自我と自我理想の区別についても評価される。persona とは存在の統一性を指す以前に仮面のことである。報告時のラガーシュがまだ知らなかった倒立した花束の図が提示される。

 

 最後のパートは「ある倫理のために」と題され、『倫理』のセミネールを踏まえて超自我がコメントされる。モーセの石板には「パロールの諸法いがいにはなにも書かれていない」。personne は仮面とともに(per-sona 声によって)はじまる。

 

 『倫理』で言及された[辛子]壺の話はもともとロワイヨーモンでの発言でお披露目されていたらしいが、本論では削除された。