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サイバネティクスと精神分析の同時代性は「偶然」か?:『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第二十三講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』

 

 

 第二十三講(22/06/1955)

 

 

 セミネール番外編の講演「精神分析サイバネティクス

 

 サイバネティクス精神分析という二つの「技術」(あるいは「思考」もしくは「科学」)の同時代性を説明する鍵の一つが「ランガージュ」。

 

 機械とのゲームは偶然が存在しないことを示している。「偶然」という言葉が使われるとき、それは意図の不在もしくは法則の存在をいみしている(両者は別のことである)。精神分析においては自由連想における偶然性が重要である。サイバネティクスは偶然と決定論の関係に光をあててくれる。

 

 サイバネティクスの起源には偶然のいみという問題がある。サイバネティクスの前身は厳密科学に対置されるかぎりでの推測科学(人間の行為を問題にする科学)である。そのかぎりでサイバネティクスの先駆者としてコンドルセひいてはパスカルを挙げることができる。

 

 厳密科学は現実的なもの(われわれがそこにいてもいなくてもつねに同じ場所に見出されるもの)を扱うと言い得るか?

 人間はむかしからそのような変わらない場所があると考えていたが、[儀礼・祈祷などの]人間の行為(「真のいみでの行為とはパロールの行為」)がその場所に秩序をもたらすとも考えていた。「人間は法則をつくろうとしていたのではなく、法則の永続のためにじぶんが不可欠であろうとした」。じっさい「法則こそが現実的なものの存在の厳密さを維持している」。とはいえ、そうした行為の無意味さに気づいたことが厳密科学に道を開いた。人間がいなくとも自然の大時計はひとりでに時を刻む。自然は約束の時間を違えない。自然の時間と人間の時間が分離する。厳密なのはそのいずれか? 厳密さは両者の時間を一致させることにある。ホイヘンスの振り子時計によって「正確さの宇宙」(コイレ)がはじまる。

 

 パスカルが賭けにおける運を計算すべく発明した「算術的三角形という最初の機械」によって、「たんなる場所としての場所の組み合わせの科学」が「同じ場所に見出されるものの科学」にとって代わる。それはスカンシオン(一回一回の勝負)の概念を前提する。サイバネティクスが発明される条件は、すべてを現前と不在の二進法によって記述できることに加えて、それがあらゆる主観性から独立して可能になることである。

 その可能性は門によってもたらされる。門において問題なのは現実的なものではなく開/閉の関係そのものであり、開/閉の運動が生み出す振動(スカンシオン)である。

 

 サイバネティクスにおける「メッセージ」は意味をもつものではなく記号の連続である。sens をもつとすれば、それは記号の連続の向かう「方向」という語義においてである。機械を規定するのはそのような「方向」である。

 

 システムの基礎は確率(賭け)の概念の中にある。それはある期待を前提している。サイバネティクスは象徴的次元と想像的次元の違いを示している。想像的なものの「慣性」ゆえに、主体の言説は「不純」な言説である。精神分析弁証法は言説から「想像的混乱」を除去し、ほんらいの意味を解放する。

 

 「意味」とは何か?「人間存在が原初的で起源的なランガージュの主人ではない」ということである。「人間はランガージュの中に投げ込まれ、巻き込まれ、その歯車にとらわれている」(序数より基数が先に発見された逆説)。「人間はその存在全体が、数の行列のなかに、原始的象徴体系のなかに組み込まれている」(「基本構造」)。

 

 機械においては時間に遅れてくるものはもともと存在しないが、人間においては抑圧ゆえにスカンションの遅れがある。抑圧されたものは執拗に存在へと至ろうとする。象徴的過程とはこうした非存在の存在への到来である。