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『盗まれた手紙』講義ヴァージョン:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第十六講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』(邦訳、岩波書店

 

 第十六講(26/04/1955)

 

 「原因という概念そのものが、その内に象徴の連鎖と現実的なものを媒介する何かをもっているという点で、[あるかないかという]賭けを出発点として成立する」。現代物理学の中心に確率の概念が躍り出たのは偶然ではない。あらゆる象徴的思考の根本には「賭け」(to be or not to be)という問題がある。「ゲームをするということは、隠されていて推理するしかない規則性を相手のなかに追求すること」(前講において「発見されてしまった法則はもはや法則ではない」とのマノーニの発言がある)。

 

 「[他者への]問いがなければゲームはなく、構造がなければ問いはない。問いは構造によって形づくられ組織される」。「象徴のゲームそのものが[……]主体とよばれるこのなにかを代表し、組織する。人間的主体がこのゲームを成り立たせているのではない。主体はこのゲームのなかで場所を占めているだけであり、たんに+と-の役割を果たしているにすぎない。主体それじたいはこの連鎖のなかの一要素である」。

 

 「諸主体の干渉(immixtion des sujets)」のドラマとしての『盗まれた手紙』。「原光景」(手紙が盗まれる場面)は手紙が取り戻される場面(さらに大臣が破滅する「想像的場面」)において反復強迫的にくりかえされる。

 

 登場人物は現実的な人物たち(王、王妃、大臣……)として列挙することもできるが、かれらを「象徴的連鎖の必然性が現実の主体を吸収してしまうことによって決定される関係を出発点に」定義することもできる。手紙はイルマの夢におけるトリメチラミンの化学式と同じようにひとりの登場人物である。手紙は「純粋状態で移動する象徴」としての「根源的な最初の主体」である。『盗まれた手紙』は「運命や因果関係が実在との関係で定義できるものではない」と教えている。登場人物は、手紙(根源的主体)に対するみずからの位置(化学式のどの位置を占めるか)によって定義される。あらゆる登場人物にとって手紙はその人物の無意識である。

 

 あらゆる劇の出発点は、人間主体がさまざまな(時として両立不可能な)「契約」(「結び目」)にあらかじめ縛られていることである。『盗まれた手紙』の出発点は結婚という最初の契約である。王家のカップルはその契約の象徴である。 

 

 「言の葉は飛び去り、書かれたものはとどまる」という格言どおり、パロールが連鎖をなして「とどまる」のにたいし、手紙とは「飛翔する(volante)パロール」である。手紙は誰に宛てられているのか。「それが脅かすすべてのもの、それが侵すすべてのもの、それが嘲笑うすべてのもの、それが危険に晒し宙吊りにするすべてのもの」にたいしてそこにある。手紙がその場所を変えるにつれて手紙の意味が変わる。

 

 シャトーブリアン的人物(「原則を固守するやり方こそがその原則を無にするもっともすぐれた方法」)である大臣は、女手の手紙を偽造することでいわばじぶんに恋文を送る(ナルシシズム)。かれは手紙を利用せず(スタンダール的無為、「退屈しきったパリス」)、それにどんないみもあたえないまま、王妃に同一化する。手紙の威力の大きさが大臣に王妃とおなじ態度(話さないこと)を強いるからだ。それゆえ大臣が王妃とおなじように手紙を盗まれるのは、「超詩人」デュパンの策略ゆえではなくて「事態の構造」によってである(「手紙はつねにその宛先に届く」)。

 

 警察の無力さは「手紙の何たるかを知らない」がゆえである。なぜ知らないかといえば、警察はみずからの力が象徴であって現実的な力ではないことを知らないからである。警察は手紙が文字(lettre)、つまりどこにもないものであることを知らない。

 

 現実的なものを「隠す」ことはできない(隠したものは見つけることができるから)。「真理」の次元にあるものしか隠すことはできない。『盗まれた手紙』において隠されているのは「真理」であって、手紙そのものではない。そしてそれは警察には見えない。現実的なものしか信じない「退化した(dégénéré)王」が王妃を[その盲目によって]「保護」しているのと同様に、警察は大臣を保護している。

 

 そしてその「保護」をあてにしすぎたことが大臣を破滅させる。大臣は「警察が手紙を見つけられないのは、見つける能力がないのではなく、別のものを探していたからだ」ということを忘れてしまう(ここでも手紙は「無意識」として機能する)。大臣は他の駝鳥(une autre autruche / autrui-che)が砂に頭を突っ込んでいるのでじぶんは安全だと思いこんでいるもう一羽の駝鳥であり、第三の駝鳥に漁父の利を奪われる。あらたに偽装された手紙(「運命」)をつかまされたことを知らない大臣は、こんどは王(手紙の真の宛先)の位置を占めるに至る。かれはティエステスのようにみずからの子供を喰わされたのだ。

 

 デュパンもまた手紙(「彷徨う真理」)の「マナ」的な呪縛によってそれを所有していることを他言することができないが、「聖なる」謝礼を受け取ることでそれに打ち勝つ。患者の「盗まれた手紙の配達人」である分析家(アトレウスとティエステスの物語はその寓意)が高額の謝礼を受け取っているように。金銭は聖なる負債から免れるための現代的な方途である。