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ラカンを年代順に読破。非ラカン派有志によるプロジェクト。全著作・講義解説!

フロイトの罪:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第十四講

 

第十四講(16/03/1955)

 

 イントロとしてマルセル・グリオールの講演の話題が振られ、レヴィ=ストロース相対主義に引きつけてコメントされる。

 

 イルマの夢において夢の意味という主題の「情熱的探究」に邁進していたフロイトが「メドゥーサの頭」のようなイメージ(「名づけられないもの」「現実界の露呈」「究極の不安の対象」)に行きつくプロセスを「エゴの退行」と呼びうるか? この過程は自我以前への回帰ではなく、自我機能のさまざまなスペクトルへの解体(「想像的解体」)である。

 

 『夢解釈』につづくフロイト思想の段階は『ナルシシズム入門』によって画される。「ナルシシズムが人間の外的世界との関係すべてを構造化している」。対象の知覚はみずからを満たされない欲望として知覚させ、自我の知覚は世界を不調和なものとして知覚させる。このような揺れこそが人間の知覚の「劇的な」基底である。それゆえ、夢における想像的なものの出現を退行に帰す必要はない。

 

 「命名する言葉は同一でありつづける」。ことばは「対象の時間的次元」であり、名は「対象の時間」である。

 

 「主体の根本的な無頭性」(主体の消失)。「フロイトはこの夢でわれわれに向けて語りかけている」。夢の不条理な言葉はひとつのメッセージである。イルマの夢のいみは以下のとおり。「私はいままで人が理解しようとせず治療することも禁じてきたこれらの患者たちの治療にあえてとりかかってしまったことの許しを請う者である。私はじぶんに罪がないことを願う者である。というのもそれまで人間の活動に課せられてきた限界を踏み越えることはつねに罪だったからである……」。