lacaniana  

ラカンの全著作・全講義を年代順に読破するプロジェクト。

正常性の脱構築へ:『フロイトの技法論』XI〜XII章

XI(31/03/1954)

 

 ルクレールによる『ナルシシズムの導入のために』第二部についての発表。これは自我理想と理想自我との区別がはじめてなされ、昇華と理想化の区別が唯一明示されたテクストである。ルクレールは自我理想が「フォルム」と見なされている点を強調している。動物においては内界と環界との完全な一致があり、性行動のすべてが想像的なものに支配されているのに対し、人間においての性的機能は無秩序を特徴とする。

 バリントの近々の来訪が予告され、分析の終了が自然過程であるか否かというバリント的問いへの脱線ののち、倒立した花束の装置の改良型が提示される。この装置の示すのは、「人は実像にたいへん近いところに置かれているのに、この実像を虚像として見ることがあり得る」ということ。

 最後に、「ナルシシズム論文」から愛のテーマが導き出され、ウェルテルの「死へと至る愛着」(子供をあやすロッテへの一目惚れ)への言及があり、愛が想像的な次元における現象であり、「愛においては、人が愛しているのは自分自身の自我、想像的次元で実現された自分自身の自我」であると確認される。

 

 

XII(07/04/1954)

 

 倒立した花束の装置についてのイッポリットとのディスカッション。動物とは異なり、性交において人間はみずからが死に委ねられていることを知っているという意味で、「愛は自殺の一形態」である。

 「夢理論のメタ心理学的補遺」(1917年)にかんするペリエの発表。フロイトはこのテクストにおいて、正常者の夢という「手本(Vorbild)」に照らして精神病の機制が理解できるとしている(「正常なものの中に病的感情が予示されていること」Normalvorbilden-Krankheitsaffektion)。睡眠の本質はナルシシズムであり、催眠は「脱衣」である。眼鏡や入れ歯やかつらに至るまで取り外すというこのメタファーは、自我が分解可能であることを前提している。さらに「局所論的退行」に対置される「時間的退行」という晦渋な概念が、事後性の概念に送付される。「抑圧されたものの回帰のもとでわれわれが見るものは、未来においてしか、象徴的実現化、すなわち主体の歴史の統合化を通してしか、その価値をもたない何ものかの消された記号である」。