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ラカンによるビオン讃:「イギリスの精神医学と戦争」

*「イギリスの精神医学と戦争」(La psychiatrie anglaise et la guerre, 1947)

 

 1945年の視察旅行の報告。Autre écrits に収録されている。

 

 フランスにおいて戦争は現実の否認と「幻惑」への逃避を引き起こしたが、イギリスにおいてはそのかぎりではなかった。

 

 イギリス人はその「精神的な力」「勇敢さ」によって勝利をかちとった。「適応」という功利主義的な言葉で歪められてしまってはいるが、イギリス人は「現実にたいする真の関係」に立脚していた。

 

 イギリス軍は適応不能者(dullard)をアメリカのように戦地勤務に就かせないという「ぜいたく」の余地が人口学的な理由からなかったので、適応不能者の活用法を編み出した。

 

 適応不能者だけの集団を組ませることで「水平的同一化」を促進し、かれらから集団としての高度な機能を引き出すことだ。

 

 「人間の生理学的欠陥そのものこそが心的作用のもっともおおきな豊かさを支えている」以上、「あらゆる専門化された社会組織は、個人的タイプの特殊なゆがみのなかに利益をもたらす要因をみいだす」ことが可能なのだ。

 

 このメソードの開発にあずかっておおきかったのがビオン、リックマンらの精神科医である。ビオンは、じぶんをひきたたせようという配慮を共通の目標にしたがわせうる力量を指導力に優先させるような「指導者のない集団」を形成させることに成功した。

 

 かれらはまさに「状況の袋小路そのものにおいて介入のための生き生きとした力を発見するというフロイトの奇跡的な初期のやりかた」を実践したのだ。

 

 「精神医学はイギリスが戦争に勝つための手段を鍛え上げるのに仕え、その見返りに戦争は精神医学を変容させた」。戦争によって精神的な病は減少するという統計にもかかわらず、心因を軽視し、[戦争にともなうアルコール制限といった]偶然的な原因に精神の病の原因を帰すような旧態依然とした観点が乗り越えられた。

 

 「戦争は、現代文明を特徴づける葛藤的な弁証法のなかで進歩を生み出す」。軍隊は、それまでの階級・教育制度がなしとげなかったことを一挙に可能にした。(「学校と階級制度による要請という欺瞞」が軍隊において消滅した。)ラカンは、このメソードを「共同の利益」のために活用すべき余地があると楽天的に提言しつつ、ハックスリー的な優生学的神話、心理的な操作による「権力濫用」の危険性にも言及している。

 

 「人類の未来の危険がやってくるのは諸個人の過大な不服従[良心的兵役忌避]からではないことをこの戦争は証明した」。「超自我の暗い威力は、もっとも非人間的なもろもろの大義のために受容された死へと人間を追いやる意識の無気力な放棄と結託」し、みずからを犠牲に供さしめるのだが、この犠牲は「英雄的」なものではけっしてない。

 

 すでにフロイト第一次大戦について似たようなことを述べていたとおもうが、ラカンの力点は「意識の無気力な放棄」あたりにあるのだろうか? フランスの精神医学界に喝を入れるという目論見はあるにしても、全体的に楽天的で誇張的な印象(cf. ビオンとリックマンの肖像)をあたえる論文だ。

 

 とうぜんのことながら、『集団心理学と自我の分析』(恐慌。不安にたいする退行的防衛etc.)への目配せが随所にある。また、『家族複合』で言及された「父親的イマーゴの衰退に由来する男性的典型の頽廃の効果」が確認される。

 

 向井雅明氏による試訳を参照させていただいた。