lacaniana  

ラカンの全著作・全講義を年代順に読破するプロジェクト。

「ローマ講演」を読む(その5)

「序論」レジュメのつづき。 

 ……以上の原則から、象徴的なもの、想像的なもの、現実的なものという三つの状況の分割が可能になる。これら三つのものがさまざまな「防衛」のありかた(「孤立」、「取り消し」、「否定」。より一般的には「無視」)を規定する。

 精神分析運動にとってのアメリカの一派はその頭数によって権威[嵩、重要性 importance]をもつにすぎない。一方、精神分析で体験される象徴的なもの、想像的なもの、現実的なものという三領域は真の重要性[重み poids]をもつ。

 まず、象徴的なものにおいては、1950年の精神医学学会において確認された「c ファクター」の重要性を無視できない。とくていの文化的環境の恒常的な性格のことだ[この一文は c 音の頭韻法が皮肉をきわだたせている]。このファクターは非歴史主義の条件になっており、この非歴史主義が合衆国における「コミュニケーション」の主要な特徴になっているのだが、われわれの考えでは、この非歴史主義は精神分析の経験の対極にある。これに加えて、行動主義という名称で知られるきわめてアメリカ的なメンタリティーが、かの国の心理学の観念をすっかり支配しており、精神分析においてもフロイト的な概念を覆いつくしてしまっている。

 想像的なものと現実的なものについては、関係者に見極めていただこう。精神分析の協会のメカニズムの特徴はいくつかある。まず、集団内での上下関係。その社会への影響力。移民が多数派であることが文化の香りをかもしだしていること。(つづく)