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lacaniana  

ラカンを年代順に読破。非ラカン派有志によるプロジェクト。全著作・講義解説!

パラノイアと創造性:『人格との関係からみたパラノイア性精神病』(その6)

 

 患者エメの文学的才能(「創造的想像」)に関して、ラカンはそれを「精神病のプラスの恩恵」であり、「精神病の人間的価値」として本質的な要素と位置づけている。

 

 このような恩恵が患者の社会的および生物学的適応すらも犠牲にして実現されるとしても、それは病的起源をもつある種の表象からそれらの人間的射程を奪いはしない。

 エメの感性のいくつかの繊細な特性、つまり幼少時代の感情に対する理解、自然の光景に対する感受性、愛におけるプラトニックな恋愛、さらには社会的理想主義などは摩滅することなく残されていたのであるから、空疎であるとみなすのは適当ではない。――これらすべては明らかに積極的な創造のためのいくつかの潜在的力として現れている。しかもそれらは精神病が直接つくり出したものであり、単に残しておいただけのものではない。(宮本、関訳 305頁)

  実際、患者の文学的才能のピークは精神病がもっとも重度であった時期と重なり、妄想の消滅とともに文学的創造性も消滅した。ついでラカンは患者とジャン=ジャック・ルソーとの共通点を列挙してみせる。とくに、ルソーのケースにおいても、患者と同様、その病状に「処罰」というメカニズムがふかく関与しているという指摘は鋭い。

 

 われわれの患者との比較は、ルソー自身が、処罰として与えられる拘束の個人的な統合に直接関係している幼児期のある時期やある挿話に自分の性倒錯の起源を遡及させればさせるほどわれわれにとって魅力的である。

 症例ルソーにおけるこのような特性が示す人格の異常な発展に対し、彼の天才は何を負っているのか。ここではこの問題に取り組むことはできないが、[……]ただつぎの点だけを強調しよう。すなわち社会領域に向かうすべての活動のなかで、天才の活動が人格の表象的価値をもっとも使用するということ、およびルソーの人格の放射に際して、その異常を示す諸特性そのものが明白な役割を演じたということである。(306頁)

  創造性は精神病の一部である。それゆえ精神病は「人格」そのものの一部をなすのであり、たとえば精神自動症といった発想に典型的な、精神病を患者の「人格」から切り離すことのできる自律的な現象と見なすことは間違っている。ラカンが精神病に関して「人間的」という形容を使っているのはそのようないみにおいてである。

 

 こうして、「欠損としての精神病」という、世間的な通念およびそれにすり寄った伝統的な精神病理学によって捏造された観念を撃退することが「人格の科学」の使命となる。