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lacaniana  

ラカンを年代順に読破。非ラカン派有志によるプロジェクト。全著作・講義解説!

コレクターとしての人間:セミネール第6巻『欲望とその解釈』(その4)

第五講(10/12/1958) 否定(Verneinung)の Je ne dis pas は言わないと言いつつ言っていることにおいて「シニフィアンのもっとも根源的な特徴(propriété)」を体現している。フライデーの足跡はそれじたいでは痕跡にすぎず、それが消されるとき(十字が刻…

タンタン・マニアとしてのラカン:セミネール第6巻『欲望とその解釈』(その3)

第4講(03/12/1958) 快と欲望の区別についてのグラノフの発表を踏まえて快の定義が確認される。一次過程においては欲望が「細分化」されている。幻覚(局所論的退行)とは<興奮→運動>という回路(反射弓)が塞がれたとき、行き場を失った興奮が幻覚的表…

主知主義的精神分析宣言:セミネール第6巻『欲望とその解釈』(その2)

第2講(19/11/1958) 「抑圧されたもの」「欲望」「無意識」――この三者の区別が問われ、グラフ上に位置づけられねばならない。グラフの上階と下階との関係は建築学的(architectonique)なモデルに則ってはいない。グラフはディスクールなので、すべてを一…

スピノザの徴の下に:セミネール第6巻『欲望とその解釈』(その1)

*セミネール第6巻『欲望とその解釈』(Le Séminaire Livre VI : Le désir et son interprétation, Seuil, 2013) 精神分析は療法(thérapeutique)というよりも処置(traitement)であり、それが対象とするのはまず夢や機知などの「周縁的で残りものの」現…

バルセロナにおける十の提言:「真の精神分析と偽の精神分析」

*「真の精神分析、そして偽の精神分析」(La psychanalyse vraie, et la fausse, in Autres écrits, Seuil, 2001 ) 1958年9月、バルセロナで行われた第四回国際精神療法会議における発表の要旨。『続エクリ』所収。向井雅明氏による試訳がある。 「真の(…

美人局と密輸品:「治療の方向づけとその影響力についての諸原則」

*「治療の方向づけとその影響力についての諸原則」(La direction de la cure et les principes de son pouvoir, in Ecrits, Seuil, 1966) これまでのラカンの治療論の概要を提示した論文と位置づけられる。「治療の方向づけ(direction)」という言い回し…

強迫神経症あるいはファルスの言語的破壊:『無意識の形成物』(了)

*『無意識の形成物』(Le Séminaire Livre V : Les formations de l'inconscient, Seuil, 1998) 第XXII講(14/05/1958)〜第XXVIII講(02/07/1958) セミネールの残りの四分の一においては、主として強迫神経症についてのモーリス・ブーヴェの諸論文にそく…

シミュラクルもしくは魚としてのファルス:「ファルスの意味作用」

*「ファルスの意味作用」(La signification du phallus / Die Bedeutung des Phallus, in Ecrits, Seuil, 1966) ミュンヘンのマックス・プランク研究所においてドイツ語で行われた講演を「変更を加えずに」筆記したものとされるが、ラカンのこういう但し…

女性性の本質化に抗して:『無意識の形成物』第XV講〜第XXI講

女児のエディプス複合にかんし、ペニス羨望は三つの局面について想定しうることが確認される。(1)クリトリスがペニスであってほしい。(2)父のペニス。(3)父の子供。(1)は「去勢」、(2)は「フラストレーション」、(3)は「剥奪」に相当する…

享楽の最初の一グラム:『無意識の形成物』第XIV講

というわけで、セミネールは享楽と欲望の関係という問題の提起によって再開される(1958年3月5日)。 クライン派ジョアン・リヴィエールの「仮装としてのフェミニティ」が俎上に載せられる。幻想における両親にたいする優位(父を去勢しそのペニスを奪ったこ…

燃やされた手紙:「ジッドの青春 あるいは文字と欲望」

*「ジッドの青春 あるいは文字と欲望」(Jeunesse de Gide ou la lettre et le désir, in Ecrits, Seuil, 1966) 開講中のセミネール『無意識の形成物』の中休み期間(1958年2月)に執筆され、セミネールの後援者でもあったジャン・ドレによる浩瀚な精神医…

革命と退屈と引きこもりの哲学:『無意識の形成物』第Ⅷ〜第XIII講

*『無意識の形成物』(Le Séminaire Livre V : Les formations de l'inconscient, Seuil, 1998) 精神病についてのギゼラ・パンコフの談話中で紹介されたベイトソンのダブル・バインド概念が、母子の想像的関係にみられる根本的ジレンマの認識に照らして評…

トポロジー宣言:「精神病のあらゆる可能な治療にとって前提となるひとつの問いについて」

*「精神病のあらゆる可能な治療にとって前提となるひとつの問いについて」(D'une question préliminaire à tout traitement possible de la psychose, in Ecrits, Seuil, 1966) 前回とりあげたのは『無意識の形成物』の1957年12月までの講義である。クリ…

シニフィアンの全般的経済論へ:セミネール第5巻『無意識の形成物』第1講〜第7講

*『無意識の形成物』(Le Séminaire Livre V : Les formations de l'inconscient, Seuil, 1998) フロイトによれば機知は「滑稽」とはちがい、話し手と聞き手以外の第三者を必要とする。ラカン的<他者>はこの第三者に送り返される。<他者>とは「シニフ…

衆生に語りかけるラカン:「レクスプレス」誌によるインタビュー

*「精神分析への鍵」(Clefs pour la psychanalyse, in l’Express, 31 mai 1957) 老舗週刊誌に掲載された Madeleine Chapsal によるインタビュー。ラカンが平易な言葉で一般読者向けに自説を述べている点で貴重なテクストと言えよう。後年の「ラジオフォニ…

再配達された手紙:「無意識における文字の審級 あるいはフロイト以後の理性」

*「無意識における文字の審級 あるいはフロイト以後の理性」(L'instance de la lettre dans l'inconscient ou la raison depuis Freud, in Ecrits, Seuil, 1966) 先行する二つの論文どうよう、哲学研究者向けの講演を基にした論文であるのは偶々か?1968…

純粋なシニフィアンとしての基本概念:「精神分析とその教育」

*「精神分析とその教育」(La psychanalys et son enseignement, in Ecrits, Seuil, 1966) フランス哲学協会での講演を基にその紀要に発表された。前年の「1956年における精神分析の状況と分析家の養成」にひきつづき哲学屋さんに向けての一文。しかも分析…

ハンス、あるいは存在の自己忘却:セミネール第4巻『対象関係』

*『対象関係』(Le Séminaire Livre IV : La relation d'objet, Seuil, 1994) カール・アブラハム以来の発達段階論において掲げられ、当時なお幅を効かせていた“理想的対象”という観念が退けられ、フロイトにおいて「対象」は喪失され、再発見されるべきも…

ヴァルデマール氏ふたたび:「1956年における精神分析の状況と精神分析家の養成」

*「1956年における精神分析の状況と精神分析家の養成」(Situation de la psychanalyse et formation du psychanalyste en 1956, in Ecrits, Seuil, 1966) 初出は Etudes philosophiques 誌(第4号、1956年)。部外者にパノラマを提示するという主旨にし…

シュレーバー、あるいは無意識の殉教者:セミネール『精神病』

*『諸々の精神病』(Le Séminaire livre III ; Les psychoses, Seuil, 1981) ラカンによればフロイトのシュレーバー症例は『夢解釈』よりも画期的である。『夢解釈』には先駆者がいたが、シュレーバー症例においてフロイトは未曾有の領域を切り開いた。 と…

お喋りな演台:「フロイト的もの、あるいは精神分析におけるフロイトへの回帰の<意味>」

*「フロイト的もの、あるいは精神分析におけるフロイトへの回帰の<意味>」(1955年、『エクリ』所収) 「鏡像段階」論、「ローマ講演」、「セミネール1巻」「同2巻」(L図、"Wo Es war...")、「『盗まれた手紙』論」(真理)のおさらいにして「セミネ…

「『盗まれた手紙』についてのセミネール」(『エクリ』ヴァージョン)

*「『盗まれた手紙』についてのセミネール」(1957年) 講義ヴァージョンがシニフィアン概念に引きつけてまとめなおされる。 「lettre は殺し、esprit は生かす」のであるとすれば、それは「シニフィアンは死の審級を物質化する」かぎりにおいてだ。シニフ…

ラカンによるフェレンツィおよびライヒ讃:「治療-類型の諸変種」

*「治療-類型の諸変種」(Variantes de la cure-type, 1955) セミネール『フロイト理論と精神分析の技法における自我』開講中に『外科医学百科 精神医学篇』のために執筆された論文で、のちに『エクリ』に収録された。セミネール第一巻、第二巻における技…

死の本能と生の奇跡:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』(了)

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』 第二十四講(29/06/1955) 講演の成功で自信をとりもどしたラカンが質問者たちに逆襲を試みる。 X:聖書には宇宙(「すべてを論理的に繋げるような固定され決定された法」)もしくはプラトン的な「ロゴス」…

サイバネティクスと精神分析の同時代性は「偶然」か?:『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第二十三講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』 第二十三講(22/06/1955) セミネール番外編の講演「精神分析とサイバネティクス」 サイバネティクスと精神分析という二つの「技術」(あるいは「思考」もしくは「科学」)の同時代性を説明する鍵の一つが「…

ランガージュへの集中砲火:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第二十二講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』 第二十二講(15/06/1955) サイバネティクスにおけるメッセージ概念。「ランガージュはメッセージのためにあるが、コードではない。ランガージュは本質的に曖昧であり、意義素はつねに多義的で、シニフィア…

ドッペルゲンガーそしてファルス:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第二十一講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』 第二十一講(04/06/1955) 「貞節を動機づけるのは誓いの言葉(パロール)にほかならない」(プルードン)。妻の誓いは夫個人をこえて「すべての男」に向けられ、夫のそれは「すべての女」に向けられる。「…

対象関係論と不合理なもの:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第二十講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』 第二十講 シェマLにおいてはパロールが光のように一直線に伝わることを前提しているので、「隠喩」か「アナロジー」にすぎない。ミスリーディングなシェマの例として『自我とエス』の卵形の図が挙げられる…

惑星はなぜ話さないのか?:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析における自我』第十九講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』 第十九講(25/05/1955) なぜ惑星は話さないのか? 『我が闘争』においては「人間同士の関係が月同士の関係のように語られている」が「われわれもとかく月同士の心理学や精神分析をする傾向がある」。 惑星…

コロノスのハムレット:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第十八講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』 第十八講(19/05/1955) 「リビドーの概念は精神分析的効果の領野を統一する概念」であり、「リビドー概念を使うことは一つの世界(統一場)へ到達しようとするあらゆる理論の伝統のなかにある」。「フロイ…

知を想定された主体:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第十七講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』(邦訳、岩波書店) 第十七講(12/05/1955) 出席者の質問へのコメントというかたちで進められる。以下、箇条書きで。 反復強迫を規定する「執拗さ(insistance)」はランガージュの根底にある機能。 「人は…

『盗まれた手紙』講義ヴァージョン:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第十六講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』(邦訳、岩波書店) 第十六講(26/04/1955) 「原因という概念そのものが、その内に象徴の連鎖と現実的なものを媒介する何かをもっているという点で、[あるかないかという]賭けを出発点として成立する」。…

2は奇数である:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第十五講

*『フロイト理論と精神分析の技法における自我』(邦訳、岩波書店) 第十五講(30/03/1955) イルマの夢においても狼男の夢においても、「主体は解体し、消え失せ、主体のさまざまな自我へと分解している」。いずれにおいても「究極の現実的なものにたいす…

フロイトの罪:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第十四講

第十四講(16/03/1955) イントロとしてマルセル・グリオールの講演の話題が振られ、レヴィ=ストロース的相対主義に引きつけてコメントされる。 イルマの夢において夢の意味という主題の「情熱的探究」に邁進していたフロイトが「メドゥーサの頭」のような…

イルマのお告げ:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第12〜13講

第十二講(02/03/1955) 「夢見る人は、じぶんの夢の欲望にたいする態度においては、内なる共同(une intime communauté)によって結び合わされた二人の人物でできているかのようにみえる」(『夢解釈』第7章「夢事象の心理学」)。ここに読まれる「主体の脱…

イギリス人は斬首される夢を見る:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第10講、第11講

第10講(09/02/1955) フロイト理論の進展の四段階(「草稿」、『夢解釈』、ナルシシズム論、「彼岸」)において、つねに同じ矛盾が持続するのは、この進展が否定弁証法の一形態であるから。「人間存在や人間経験に一貫性と自律的経済を付す象徴の次元」、「…

フロイト思想の誕生:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第8〜9講

第8講(26/01/1955) 「基本概念」としての「欲動」。心身症と対象関係との関係を扱ったペリエの発表へのコメント。対象関係という観念はその前提となる自我と他者のナルシシズム的関係を覆い隠す。「神経症はつねにナルシシズム的な構造によって枠どられて…

メルロ=ポンティからキェルケゴールへ:セミネール第2巻『フロイト理論と精神分析の技法における自我』第7講

第7講(19/01/1955) 前夜のメルロ=ポンティ講演「哲学と精神分析」は、ポンティと精神分析の隔たりを明らかにした。ポンティのゲシュタルト主義は、「了解」「理解」を前提している。これは人間の相互理解の必要性というポンティの政治的関心と関係してい…

ヘーゲルの時代とフロイトの時代の間に起きたこと:『ル・セミネール』第2巻(第5〜6講)

第5講(15/12/1954) イメージしたいという欲求に負けて、主体を実体化するべからず。 「ぼくには三人の兄弟がいる。ポールとエルネストとぼくだ」のようにじぶんじしんを数え入れるかどうかが人間の精神年齢の測定の基準とされている。ところで「主体とし…

機械にできないたった一つのこと:『フロイト理論と精神分析技法における自我』第4講

第Ⅳ講(06/12/1954) 「すべてを創ることによって至上の者は何を創るのか――自らを。しかし、すべてを創る前に彼は何を創るのか――私を」(シェプコ)。 フロイトの「組織立った矛盾」。フロイトの思考の「動き」は完成されることがなく、けっして教義的決定版…

機械論の復権:『フロイト理論と精神分析技法における自我』(第Ⅱ〜Ⅲ講)

第Ⅱ講(24/11/1954) コイレとの会見を踏まえ、メノンが一般に考えられているのとはちがって被分析者というより分析家であるとされる。形式性、一貫性を事とする知であるエピステーメは人間の経験の全領域をカバーするものではない。完全な、人間の経験のア…

自我の発生:『フロイト理論および精神分析の技法における自我』(その1)

* Le Séminaire livre II : Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse, Seuil, 1978. Ⅰ(17/11/1954) 自我についてのフロイト的概念は、コペルニクス的転回を画した。フロイト理論の一般心理学への吸収が告発される。「分…

「存在」のピラミッド:『フロイトの技法論』(了)

XXI(30/07/1954) 「真理は記号の外側に、記号とは別のところにある」。「真理として現れない誤りはない」。「誤りこそが真理の具現化した通常の姿」。「真理はすべて暴かれることはない」がゆえに「誤りというかたちで伝えられるというのが真理の本性であ…

概念と時間:『フロイトの技法論』第19〜20講

XIX(16/06/1954) 「意味作用は意味作用そのものへしか、つまり他の意味作用にしかけっして回付されない」。 キルケーによって豚に変身させられたオデュッセウスの部下のエピソードが召喚され、「豚の鳴き声がパロールになるのは、その鳴き声が何を信じさせ…

言語の存在論:『フロイトの技法論』第18講

XVIII(09/06/1954) 倒錯とは何か? 倒錯とは、スピノザのいう人間的受苦(passion humaine)を純粋化する経験、つまり、「想像的な鏡像関係を構造化する自分自身との分割」へと開かれるという経験である。この「分割」「裂け目」ゆえに、人間の欲望は他者…

サルトルを読め!:『フロイトの技法論』XVII章

XVII(02/06/1954) 母子関係には「裂け目」がない(バリント)。この定義はフロイト的な自体愛の段階を否定している。ウィーン学派は幼児には「対象」が存在しないとするが、経験的にそうでないことは明らかである。対象の概念を、生物と環界との関係という…

個人的な法としての超自我:『フロイトの技法論』XV〜XVI章

XV(19/05/1954) 狼男に即して、外傷の想像的「刻印」(Prägung)の事後的な抑圧によって過去が「象徴」「歴史」へと再統合されるプロセスが確認される。抑圧と抑圧されたものの回帰は同じだから、この過程は分析において生じていることと並行的である。 ハ…

ドラのシーソー:『フロイトの技法論』XIII〜XIV章

XIII(05/05/1954) 人はみずからの欲望について知らない。「無知」は「真理」との相関において理解すべき「弁証法的」概念である。動物の知が生得的(「環界」への「想像的接合」)であるのに対し、人間の基本的欲望は無政府状態にある。……人間は自身を身体…

正常性の脱構築へ:『フロイトの技法論』XI〜XII章

XI(31/03/1954) ルクレールによる『ナルシシズムの導入のために』第二部についての発表。これは自我理想と理想自我との区別がはじめてなされ、昇華と理想化の区別が唯一明示されたテクストである。ルクレールは自我理想が「フォルム」と見なされている点を…

リビドー理論のパラドクス:『フロイトの技法論』IX〜X章

IX(17/03/1954) 「他者に充実した仕方で語るごとに転移がある」。従来、想像的なレベルでの現象であり、分析の障害であると見なされてきた転移がパロールとの関係においてこそ定義されるべきことを確認すべく、ラカンは『ナルシシズムの導入のために』につ…